【今際の国のアトム】58年前の今日、アニメ『鉄腕アトム』放映開始で本当にはじまった「死」の商品化《今日はニャンの日:1963.1.1》
平民ジャパン「今日は何の日」:12ニャンめ
◼︎1963年当時のテレビ&ジャパン
1963年の経済白書は「先進国への道」と銘打っている。日本はまだ開発途上国だった。家電普及率はエアコン1.3%、自動車6.1%、冷蔵庫39.1%、洗濯機66.4%、そして、白黒テレビ88.7%だった。いまは生活必需の基本的家電製品がまだまだ普及していないのに、テレビだけがすでに9割の家庭に普及していた。
東京オリンピックの前年、すべてはまだモノクロの時代だった。『アイ・ラブ・ルーシー(50年代のアメリカの代表的シットコム)』『パパ大好き(男5人の、アメリカ人家族のドラマ)』『コンバット(第二次大戦欧州戦線の米兵ドラマ)』など、週に50本以上のアメリカ製番組が日本語に「吹き替え」られ、タイムテーブルの過半を占めていた。
原爆からまだ20年も経っていなかった時、タイムテーブルはアメリカ番組の絨毯爆撃に晒されていた。日本人は心も体もアメリカに染まっていた。
まだ貧しい敗戦日本を、テレビの中の憧れのアメリカが激励し、慰撫した。子供にお菓子を買ってやれるようになって、やっと国産の「テレビマンガ」が始まった。アトムを魁に、この年10月、TBSで『エイトマン』(提供:丸美屋)、11月にフジテレビで『鉄人28号』(提供:江崎グリコ)、NET(現在のテレ朝)で『狼少年ケン』(提供:森永製菓)が始まった。正真正銘のテレビアニメ元年だった。すべてゴールデンタイムだ。
日テレは金曜夜、50年代の街頭テレビ時代から力道山のプロレス中継をやっていた。しかし、この年の12月、力道山は住吉会のヤクザに刺されて、あっけなく死んでしまった。すでにプロレスに代わって、プロボクシングがテレビ最強の座を占めていた。60年代前半は日本全国がボクシングブームに沸いていた。
国産番組では、毎日放送の「アップダウンクイズ」(“夢のハワイ旅行”といった懸賞付きクイズ番組)や、フジテレビの「ズバリ!当てましょう」(“100万円相当のナショナル製電化製品一式”がもらえる)が始まった。人々のシンプルな夢、物欲を代理実現して人気を得た。しかし、クイズ番組も「私の秘密」(NHK)、「クイズグランプリ」(フジテレビ)を筆頭に、アメリカの番組フォーマットを模倣・輸入したものだった。眩しいアメリカをひたすら目指す、栄養失調ジャパンのど真ん中に白黒テレビがあった。
そこには男同士の殴り合いと、むき出しの物欲と、子供の目の前で戦うアニメヒーローがあふれていた。
◼︎アトムの最終話における“死に戻り”
いまだ語り継がれる最終話「地球最大の冒険」(第193話)では、身長135センチ、体重30キロの小さなアトムが、パパ、ママ、兄のコバルト、妹のウランに別れを告げる。絶対に勝てるはずのない相手、太陽に向かって特攻する「きけわだつみの声」で終わる。
明るく元気な子供型ロボット・アトムは、黒点活動によって気温が上昇し、人類が逃げ出した後の地球に残された被差別民・ロボットのみんなを守るため、大統領に選ばれる。
そして、“ナポレタン”という、自分は人間だと思い込んでいたロボットの独裁者から、太陽の温度を下げる装置を委ねられる。それを太陽に向かって放り込むミッションを背負う。自己犠牲の精神と愛国心が発揮される。小学生相当のアトムは、みんなに送られて勇ましく学徒出陣する。
あっさりと死地に赴き、あっさりと死んでいく。
あまりにも切ない、暗すぎる物語だ。
なのにエンディングでは、登場キャラクターたちがカーテンコールに勢ぞろいし、視聴者(当時の子供たち)に別れを告げる。お茶の水博士の声が「アトムは行ってしまったけれど、太陽からもどってきたら、きっとまた会えます。それまでごきげんよう!」と宣う。靖国にいけばアトムに会える。次週からの新アニメ『悟空の大冒険』の告知に移ると、アトムがポンとまた現れて、さようなら!と挨拶する。いくら相手が子供でも、視聴者をなめている。死んだら元には戻れないと教えてやってほしい。ケロッとして出てくる。恐るべき虚構の死だ。
これが、のちにゲームでは定番となる「死に戻り」(リセット:死んだら位置や時間がセーブポイントまで戻るというゲームシステムや能力)の原点だ。
負け戦は運命だ。人類が滅亡することは決まっている。現実世界では隕石が落ちてきたときに死んでいる。これは今際の国の「げぇむ」だ。「ウェストワールド」のホストだ。だから主人公は何度でもやりなおす。太陽に特攻しても生きている。毎年桜が咲くころ、記憶を消されたアトムはセーブポイントである九段の神社に戻ってくる。
◼︎送り出す側の論理
ならば、特攻に行くのもゲーセンに行くようなものだ。
ゲームをリセットすれば、またプレイできる。
だから、また頑張ろう。
これを見て育った子供たちが大人になって、後の日本を支えたかどうかはわからない。ある者はアトムになろうとしたかもしれないが、すでに戦争は終わっている。多くの者は旗を振ってアトムを「送り出す側」の、“戦前日本のアレな人々”を継承した。まだセクハラもパワハラもない、バブルあたりまではそれで何とかもった。潔い自己犠牲こそ美しい。ただし、行くのは私ではない。アトムがやってくれる。頑張れ、アトム。10万馬力だ、ゆけ! 鉄腕アトム、地球を救うために。お国のため、会社のために、死んでくれ。骨は拾ってやる。アトムを送り出す側の人々は、平成・令和も健在だ。
アトムは、世界的SF作家アイザック・アシモフのロボット三原則(①人間に危害を与えてはいけない、②人間に服従せねばならない、③それらに反しない限り、自己を守らねばならない)に忠実だった。
しかし、心があるがゆえに、①と②のために③を犠牲にした。
鉄腕アトムの視聴者だった昭和30年代のよい子たちが、この意味を理解していたかどうか、それは受け手のリテラシーの問題だ。いま60代前半の日本人に尋ねてみればよい。明るい話の中には寒々としたものが潜む。顧みられることのない悲しみは水底に沈殿している。ゲームに没入し、異世界に転生した若い日本人なら、リセットは日常生活の一部だ。怒りも悲しみも、死も、リセットしてやりなおす。
ゲームの中なら、送り出す側にも、送りだされる側にも立つことができる。
しかし、現実世界では、生身の人間はリセット不能だ。
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